2/6ページ目 二位 トーコさん 私の彼氏は近眼専 [恋愛] 因数分解なんてダイキライ。 ノートの端っこに小さく書いてからすぐに消しゴムで消して、また問題と睨めっこをする。 私がこの問題に取りかかってから優に三十分以上が過ぎていた。けれどいくら悩んでも劇的に解ける、あるいはこれぞという手段がいきなり降って来るわけがない。 つまりは八方ふさがり。 いえ、一方は確実に開いているのだろう。 「かつ、み」 降参。 私はシャーペンを机の上に転がすと、目の前で問題を解いている男子に声をかけた。 教室は蒸されそうなほど暑いのに、背筋をきちんと伸ばし、無駄なお喋りなどせず黙々と問題を消化していく姿が涼しげに見える。 ずるい奴。 「克己」 もう一度名前を呼ぶと、克己は手を止めてシャーペンを筆箱の中に戻した。 「……どうした?」 「因数分解がどうしても分かりません。教えて下さい」 「良いの?」 この場合の良いの? はこれで克己にとっての『貸し』が五つたまるけど良いの、という意味を含んでいる。『貸し』が五つたまれば罰ゲームなのだ。 しかし、これ以上考えても克己の手助けなしに解けるとは思えない。私は頷いた。 「背に腹は代えられません」 克己はそう、と呟くと私のノートに指先を置いた。 一番上の左端、今行き詰まっている問題が書かれているところ。 下には私の考えた数式がずらずらと並んでいるが、どれも答えは出ていない。 「そこはね、まず全部を展開せずに64が4の三乗であることに注目して――」 克己が前のめりになる分、私が机から少し離れて距離を取る。 形の良い爪、節くれだった指先に大きな手のひら。女の子とは全然違う手だ。どきどきするのは男の人だからか、それとも克己だからか。 見られていることに気付いたのか、克己はふっと顔を上げた。 一瞬だけ視線が絡み合い、気恥ずかしくなった私が先に目を逸らす。 「きらら、ちゃんと聞いてる?」 「聞いてます、分かりました」 実は、最初にヒントを貰った時点で解法がパッと思いついていた。それからの説明はぼんやりとしか頭に入っていないけれど、家に帰って復習すれば解けるだろう。 『貸し』が五つたまった今、もうここで勉強するのは不可能なのだ。 私は軽く頭を下げると、既にエナメルのバッグを肩にかけている克己を見上げた。 相変わらず帰り支度が早い。 「ありがとうございます」 ノートと課題プリント、それと筆箱を鞄に入れる。 他の勉強道具はホームルームが終わって早々、ロッカーや鞄の中に仕舞っていた。 全ての準備が終わると、いつものように克己の長い指先が私のめがねに触れる。銀色のフレームをそっとなぞり、両手でつるの部分を持って引き抜いた。 とたんに視界は霞がかかったようになり、克己の表情が分からなくなる。 「それじゃあこれは没収。またきららの最寄駅に着いたら返すよ」 パチン、とめがねケースが閉まる音。 これが罰ゲームだった。 一日に私への『貸し』が五つたまったら、私は最寄駅までめがねを預けなければいけない。 そしてその時に限って、克己は私を様々な所――喫茶店やゲームセンターに――連れ出していた。 なぜこれを罰ゲームに選んだのか、未だにさっぱり分からない。 「帰ろうか」 「はい」 ド近眼である私は、めがねがないと本当に生活が出来ない。 いつ転ぶか分からず、正直に言えば下に落ちているものの名前も言えるかどうか。 仕方なく克己の腕を取って廊下を歩き出す。手を繋ぐだけでは怖かった。 克己はリードが上手く、私が目をつむって歩いていても何かにぶつかることはない。考えにふけっていても大丈夫だった。 考えとはつまり、克己の真意についてだ。 「常々思うのですけれど、克己は嫌なのですか」 気付けば口に出していた。 昇降口前の階段で私だけ立ち止まり、克己は一段下がって靴を履き替えている。十五センチの身長差を階段が埋め、やけに克己の顔が近くに見えた。 「何が」 「私と放課後、こうやって一緒に勉強することがです。もし克己が早く帰りたいと思っているならば、私は遠慮するべきでしょうから。教えて貰っているのは私ばかりですし」 新入生歓迎テストの直後に分かっていたことだが、克己は頭が良いのだ。どの教科にも不得意がない。 足を引っ張ることが分かりきっている私と勉強することこそ無駄で、早く家に帰って勉強した方がどう見ても効率的だった。 克己は不可解そうに首を傾げて、私の分の靴を下駄箱から出す。 「別に嫌じゃないけど」 矢継ぎ早に訊いた。 「それでは、あまり聞いたことはありませんが、克己は近眼フェチなのですか」 「……は?」 今度こそ意味が分からないという風だ。 私はしゃがみ込んで靴との距離を近くし、上履きを脱いで脇に置いた。そのまま、立ったままの克己をじっと見つめる。 少しでも克己の表情が読み取れるように。 「だって、この前私がコンタクトにしようかなと言ったら断固反対していたではないですか。このままで良いって。……めがねのない顔が克己の好みなら、それに従おうと思っていたのに」 残念ながら、漫画やドラマのようにめがねをかけていない顔が超絶美少女というわけではない。十人並みの顔立ちはめがねを取ったって十人並みだ。 「めがねを取ることが罰ゲームなんて、おかしいと思うんです。普通は何かを強請ったりするものではないですか」 コンビニのアイス奢り、とか相手の分もプリクラ代を負担するとか。あるいは知らない男子に声をかけてくるとか。友達同士での罰ゲームはそういうものだった。 克己は一つ息を吐くと、私の上履きを取って下駄箱の中に入れた。 もしや甲斐甲斐しく人の世話を焼きたいのかと思うが、普段の克己は自身の友達にも容赦がない。勉強を教えて貰えるのだって私が彼女だからだ。 「じゃあ訊くけど、きららの普通って何を基準にして言ってんの?」 言葉に詰まる。 「罰ゲームってのは相手にして欲しいことをさせるんだろ。俺はきららにめがねを外して欲しいだけ」 その理由が分からない。 「めがねを外すことに何のメリットがあるんです?」 「……ない。でも」 私はふっと視線を外し、ぼやけた視界で靴を履いた。立ち上がって近付くと分かる。 ――克己が困っている。 聞かん坊の子供を相手にしているかのように、私の扱いをどうしようか迷っている。申し訳ないと思いながらも、私は追及の手をゆるめなかった。 「矢張り、近眼フェチじゃないですか。何の理由もないのに、彼女にめがねを外せと言うなんて。――私のようなド近眼に裸眼でいろと言うのは、とても酷いことなのですよ」 ずっと2.0の視力をキープしてきた克己には分からないだろう。鋭く言うと、やがて克己は疲れたように頭を振った。私の腕を強引に掴んで、自分のそれに絡ませる。 「分かった、近眼フェチでいい。寧ろ俺は近眼専だ」 克己の顔がはっきり見えたのは、次の瞬間。かさついた指が唇をなぞり、頬を滑って耳朶をゆっくりと挟み込む。片手は髪に差し込まれ、強い力で私の頭を固定している。 精神的にも物理的にも、動けなかった。 「ただし、きらら限定で」 たった今触れたばかりの唇が、三日月の形に変わっていった。 私の彼氏はカッコ良い。頭も性格も、もちろんスタイルや運動神経だって並み以上。 本来なら、地味で特に美人でもない私が彼の傍にいて良いわけがない。 でも彼が近眼専であるからこそ、少しは吊りあっているのかな――なんて思い上がることが出来ていたり、する。 ◇ 「克己、またカノジョに無理させてるよー」 「あれってさ、単に腕組んだり甘やかしたり至近距離で話したりしたいだけっしょ?」 「きららちゃんも大変だよねえ」 知らぬは本人ばかりなり。 END 第一回結果発表に戻る [指定ページを開く] <<重要なお知らせ>>@peps!・Chip!!をご利用頂き、ありがとうございます。
w友達に教えるw [編集] 無料ホームページ作成は@peps! |