第一回入賞作品
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一位
遥さん
- Trauma -
[ホラー・メンタル]


昔から僕は蠅と蛆が大っ嫌いだった。
いや、好きなやつなんて学者以外いないだろう。

腐肉に這い群がりその醜い身体を蠢かせ、貪り喰らい成長していく蛆。
そして気持ち悪い目で周囲を見、うじゅうじゅと毛むくじゃらの前足を擦り合わせ、隙を見てはハイエナのように汚物に触れた体を食べているものにくっつこうとしているのは最悪だ。

…………

………………

幼い頃、海に遊びにきていた僕は砂浜にぼろ雑巾のようなものを見つけた。大人たちが見ればそれが腐った魚だとわかり、絶対に触らせることはないが、どす黒く変わったそれが普段食べる魚とはとても思えなかった僕は“ぼろ雑巾”を思いっきり握った。

ぐぢゅり

気味の悪い感触と共に握ったところからドロリとした濁った液体、そしてその中で身をくねらせる白い芋虫のような物体。

わあっ、と手を離しべちゃっと落ちた“ぼろ雑巾”。

手から下水道のような腐臭が立ち上り、胃の中の物を吐き散らしながら海水で清めようとするが、どんなに擦っても生々しい感触だけは消えることがない。

そして、砂浜に落ちた“ぼろ雑巾”からはそんなにいたのかと思えるほどうじゅうじゅと湧き出る蛆虫。臭いに誘われたのか一匹、また一匹と蠅が飛んできて“ぼろ雑巾”はあっという間に黒と白に覆い尽くされてしまった。

………………

…………

蠅や蛆を見るとあの当時のことを思い出してしまい、握ったあの感触と臭いが蘇る……気を緩めたら吐いてしまうほどに。

このトラウマは僕が死ぬか、地上の蠅と蛆が一匹残らず死滅してくれない限り癒えることはないだろうな……。

…………

………………

……………………

────夢を見た。

最悪な夢、自分の体からぶちぶちと蛆が湧き出る夢、パニックで床を転げ回る僕の体からは血の代わりに膿が流れ、皮膚は黒ずみ、異臭を放つ。

臭いに誘われて一匹二匹三匹……十匹……あまりの数に黒い霧のような蠅が、ぶぶぶ……と不気味な音を立てながら僕の体に群がり、皮膚を喰いちぎり、中に潜り込み、這い渡り、吸い尽くされ、壊され、眼も鼻も口も指も性器も全身を犯された夢。

脳髄を掻き回される想像を絶する痛みに体が痙攣を起こし、視界は砕け散り、意識が闇に飲み込まれていった……。

……………………

………………

…………

今までに出したことのない叫び声を上げながらベッドから跳ね起きた僕は、洗面台に駆け込み胃の中身をぶちまけた。

涙や鼻水を垂らしながらみっともない顔で昨日食べたものを吐き、胃液すらも吐き尽くし、それでも吐き気が収まらないのは、胃の動きがまるで“それ”が蠢いているように思ってしまう不快さからだ。

それがきっかけなのかはわからないが、熱をだしてしまいその日の仕事を休むハメになってしまった。

「ぐ、ぁ……げほ…………」

会社を休んで3日目。いい加減治ってほしい熱は下がる様子はなく、おかげで食欲もない。仕方なく、冷蔵庫にあったスポーツ飲料水でお腹を満たしていたが、飲んでも吐き飲んでも吐き、を繰り返し、今もトイレで吐き出していた。

「ぁ──は、っ……うぅ…………くそ……!」

熱に浮かれた身体を無理やりに動かし、頼りない足取りでベッドに向かって歩いていたが、ぐぎっと嫌な音がし、バランスを崩した俺は抵抗する間もなく、床に倒れ込んだ。

「つぅ……い、ってぇ…………」

思いっきり打ちつけたせいで全身が悲鳴を上げるが、転げ回るほどの気力がない。

起き上がるのも面倒くさく思い、しばらくその場でボーっと天井を眺め時間を潰した。

しばらく動こうとしなかったからか、さっきよりだいぶ気分が落ち着いてきた俺はゆっくりと起き上がった時、ふいに立ち眩みを起こし壁に手をついた。

ぐじゅ……

ぞわりと気色の悪い────“何か”を潰した感触。

糸を引くような粘りが手に感じながら潰れた“何か”を見た。

半透明と白濁の混じった液体、その中に微かにピクリと蠢いている“蟲”がいた。

「────ひっ……!」

――──何でこんな“モノ”がいるんだ!?

慌てて後退りながら、異物に対しそう思う自分の視界の端にチラリと何かが動いた。

「はぁ……っ、はぁ……」

動悸が早く息遣いも荒くなってしまうのを抑えきれない中、ゆっくりと周囲を見回した。

────ハンガーに掛けているジャケットのポケットの不自然な膨らみ、蠢いている“何か”。
────頭上に掲げられている灯りのない蛍光灯を這う“何か”。
────部屋の端から漂う腐った匂いを放つ“何か”。
────台所の換気扇からボトリ、ボトリと落ちてくる“何か”。
────机に広げられたノートに白い文字のように見える“何か”。
────カサ、カサとごみ箱の中から微かに音を発している“何か”。
────………………………………汗で気色悪くへばりついたシャツと肌の間に感じる“何か”。

「ああああああああああああああああああああああああ────っっ!!!!」

幻覚じゃないその感触に今までにだしたことのない大きさの叫び声。服を剥ぎ取ろうとしたが体勢を崩し倒れ込み────、

ぐちゅ びちゃ

いくつかの潰れた音、肌に触れるぬるっとした液体に、さらに叫び声を上げながらたまらず床を転がり回ってしまう。

ぶつっ…… ぐじゃ…… ぐじゅ……

「────────────っつ!!!!」

────気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い!!!!

気が狂いそうなくらい、“蟲”が蠢く部屋の中、粘液まみれになりながら目を向けたその先、その場所に目が止まった。台所……そこにあるコンロに。

────……穢レタ“モノ”ハ焼キ払エ!!

その考えが頭に広がった俺は熱に浮かされたような気持ちでゆらりと立ち上がり、ぶち……ぶち……、と“蟲”を踏み潰し、吐き戻しながらよろよろと台所に向かう。

ぶちゅ ぐちゅ

「はぁ……っ、……はぁ…………」

ぐぎゅ ぐちゅ

「────ぅっ! …………、はっ……あぁ……!!」

ぐちゅ くちゃ

長い旅路を行ったかのように頭がふらふらし、気を失いそうだが、倒れてしまえば身体の全てを“蟲”たちに貪られてしまう──確実ともいえる結末を拒む俺は、気力を振り絞りながら台所まで辿り着いた。

油を取り、近くの“蟲”の群れに満遍なく振りかけ、台所脇に積んでいた新聞紙を手に取りクルクルと松明のような形にした。それをコンロの上に翳し、スイッチを回した。カチンと硬い音、次にボウッと点る青い炎。

「はぁ……はぁ……」

震える手をもう片方の手で押さえながら、新聞紙に火を点した。

すぐに火が移り、メラメラと輝く新聞紙を“蟲”の群れに投げ入れた。

ごぉ…………!!

油に濡れた床を火が伝い瞬く間に燃え広がる。
熱風にやられないように腕で目を覆いながら、なす術もなく炎に包まれる“蟲”たちを確認した。

「は、ははは」

にやりと顔が笑みの形に歪んでしまうほど高揚感を感じていた。

────燃えろ、消えて無くなれ!!

次々と燃え広がり、クローゼットやカーテン、テーブルで這い回っていた“蟲”が炎に飲み込まれていく。

同時にプツンと、今まで身体を支えていた気力が途切れて力が抜けてきた。オレンジの景色に囲まれながら仰向けに倒れ込んだ俺の心は不思議と暖かい。

────ああ、これで……やっと眠れる。

その思いと共に俺は深い闇に意識を委ねた。

………………………………

……………………

…………

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