第五回入賞作品
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トラワレ 74pt.


トーコさん�
[メランコリック]

 可愛い可愛い遊び相手。
 頼まれて共に遊ぶ、無知で愚かな慰め役。
 僕の人生に彼女は要らない。


 遊び相手が来るという前触れから三十分が経つ。屋敷はざわついていて普段ならば聞こえない物音も聞こえ、静寂を愛する身としてはあまり良い気はしなかった。
 目の前で掃除機をかけられては読書に熱中できず、ならばと別の部屋に避難することも許されず、することもなくソファに腰掛け、働く侍女達の様子を眺めるばかりだ。

 やがて離れが余所行きの顔を見せたのを合図に、縁側から庭に降り、用意された草履をつっかけて門で待っているのだろう遊び相手を迎えに行く。

 雲一つない空と、庭に出たとたん蝕んでくる陽気。日光を照り返す白砂。
 知らない間に梅雨が明けていたらしい。カレンダーがないから忘れていたが、そういえば外の季節は夏だった。

 今日も散策につき合わされるのかと思うと、心底、うんざりした。



 遊び相手たる彼女との交流を通じて、親が何の期待をしているのかは知らない振りをしている。

「ここでご本を読んでも良い?」
「どうぞ」
「ありがとう」

 微笑む彼女はなるほど、親がこの子なら捻くれた愚息の相手も出来るだろうと打算してしまうくらい、可愛い。
 それに頭も良いのだろう、交差させた腕の中にある本は世界の名作を小学校高学年用に書き換えたものだ。半分が絵で埋められているような本を読んでいたっておかしくない年頃なのに。

 陣取っていたソファの真ん中から端に移動すると、空けた分に彼女が遠慮がちに座る。日焼け止め特有の甘ったるい匂いがした。

 本を開いたかと思えば暫く居心地が悪そうにもぞもぞして、結局、ソファを背もたれにして畳に直接座る格好で落ち着いた。
 ソファの上で長いおかっぱが広がる。何となく目が行った。

「今日は外に出ないんですか」

 無理に視線を引き剥がし、声をかけた。彼女の後姿を見ていた事実を上から覆い被せて、消してしまえれば良いと思った。
 僕の思いを知らない彼女は顔を上げ、縁側に繋がる障子の方を一瞥し、それから不機嫌そうに目を細め、唇すら尖らせながら振り向いた。
 どうしてそんなこと言うの、と反発を含む表情が言っている。

「いやよ。暑いもの」

 一週間前は梅雨の晴れ間だった。
 今日と同じくらい暑く、高い位置で髪を一つに纏めた彼女は活発そうな印象を与えていた。
 
 何をしたいか聞くと「お庭に出たい」だそうで、どうやらここの夏の庭がお気に召したようだった。水車やら錦鯉のいる池やらを見てはしゃぐ彼女に付き合った後、部屋に帰ってきてどっと疲れたことは記憶に新しい。日頃から全く運動をしない自分にはあれだけでもきつかった。

 その彼女が、今日は暑いから嫌だと言う矛盾。

「……そう」
「うん。ここは涼しいから好き」

 上体を伸ばし、エアコンで冷えているのだろう肘掛けの部分に少し日焼けした頬を寄せる。まどろむように目を閉じて言う様子は愛玩用の猫のようだ。
 猫だから、思わず撫でてしまったっておかしくない。

 つむじのあたりから指をくぐらせ、手櫛で梳いてさらさら零れ落ちていった髪の毛先は茶色味を帯び、手のひらに乗せて光に透かすとそれはより顕著になった。髪に隠れたうなじは首と同じ色だ。
 もともと色白で日焼け止めを塗って、時にはそのパステルカラーのワンピースに似合う麦藁帽子を被って、それでも日焼けしてしまった色だ。

 生白い自分の肌と比べれば差は明らか。外で遊ぶのも大好きなんだと、観察してみればすぐに分かる。

 本当に彼女は、頭が良い。人の気持ちを敏感に察知して振舞えるほど。

「涼しいならおやつのカキ氷は要りませんね?」

 髪を触られている間うっすら笑みを覗かせて大人しくしていた彼女は、一転、ソファに両手をついて身を乗り出した。

「いる!」
「味は何が良いですか」
「イチゴが良い」
「用意させましょう」

 内線付きの和室は一歩も出ずとも生活できる造りになっている。
 壁掛け式の電話に近づくと再び彼女を見て、何か言いたげな視線とかち合った。

「他にお望みは?」

 書斎から新しい本を持ってきて欲しいのだろうか。やっぱりイチゴよりレモンが良いと言い出すのだろうか。
 彼女らしいわがままを予期して声をかけたが、返ってきたのは強い意思を込めた言葉だった。
 黒曜石に似た目が爛々と輝いていた。

「……お祭りに行きたいの」
「すみません。親御さんと行って下さい」
「夏休みには避暑に行くの。一緒じゃなくちゃいやよ、来て」

 どんなに楽しいだろう。
 ここから出てお祭りに行けたら。
 どんなに充実するだろう。
 ここでない場所で休暇を過ごせたら。

 ふ、と口の端を緩めた。
 僕が何も言ってこないのを彼女はその回転の速い頭で正しく受け止めたらしく、みるみるうちに目に宿っていた光が失われ、唇を噛んで俯く。
 三角座りにした足を腕で抱きかかえ、ひざこぞうに顎を乗せる。

 不謹慎なことを考えて良いなら、その仕草も可愛い。むくれていても、泣きそうでも、絶望していても。

「――泣いてなんか、いないわ」

 訊いてなんかいないのに、彼女は気丈にもそう言った。



 遊び相手を門まで送って行った後、離れに戻るとちょうど良く侍女がいたので、借りていた草履をその場で返して自室に上がった。
 自分の履物は持っていない。あれを次に履くのは一週間後になるだろう。彼女が遊び相手の役目を嫌にならずに、この屋敷へ来てくれれば、の話だけれど。

 彼女が来るまでそうしていたように、また本のページを捲り出す。二・三人分の広さはあるソファに寝そべって、足を投げ出して彼女のいなくなった空白を埋め、しかし一向に本の世界へ入り込めない。
 彼女が来た日は考え事ばかりしてしまうのも、いつものことだ。

 彼女が真相に気付くのはいつだろう。
 もしかすると、聡明な彼女のことだから、もう既に気付いているのかもしれない。

 自分の遊び相手が、引きこもりではなく囚われの身であること。
 旧家の跡取り問題に巻き込まれ、存在自体をないものとされ、しきたりに唯々諾々と従っている籠の鳥であること。
 
 いつか彼女が事情を知ってしまった時には、被害が及ばないよう、出来る限りの力で僕から彼女を引き離せますように。
 それだけが、かつて無欲だった僕のたった一つの願いだ。 


 可愛い可愛い遊び相手。
 籠の鳥に外を教える、聡明で頭の良い慰め役。
 彼女の人生に僕は要らない。

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