第五回入賞作品
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七日間の天使 61pt.


璃蝶さん�
[優しい気持ち]

 僕の部屋には、天使が居る。
 そう言うと、皆眉を顰めるだろう。
 天使なんてナンセンスだと、笑うかもしれない。
 だけど、彼女は真っ青な空を指差し「あそこから来たの」と、真っ直ぐな目でそう言った。
 だからやっぱり彼女は天使なんだろうと、僕は思う。

 天使は今日も、陽の光が射し込む窓際に座って空を見上げている。
 空が好きな彼女の為にと窓際に置いてあげた小さな椅子に座って、鼻歌なんか歌いながら。
 足をゆらゆらさせながら、全身で朝の光を浴びている。
 茶色がかった髪に当たった光がキラキラ反射して、なんて綺麗なんだろう。

 その絵の様な光景に部屋の入り口で見とれていると、気配を感じたのか彼女はくるりと振り返った。
 彼女の首の動きに合わせて、真っ直ぐな髪がさらさらと肩から落ちる。
 「おはようございます、スギハラさん。」
 そう言って彼女は柔らかく微笑む。

 彼女は僕をスギハラと呼ぶ。
 本名を教えてやってもキョトンとして、「スギハラさんではないのですか?」と可愛く首を傾げた。
 仕方無いから僕は彼女の「スギハラさん」の振りをやる事にした。
 もしかしたら空からやってきて初めに耳にした名前が「杉原」だったのかもしれない。
 それで、黒い目黒い髪の男は皆「スギハラ」だと、一般名詞のように記憶してしまったのかも知れない。
 僕は半ば本気でそう考えている。

 「おはよう、ソラ。」
 僕も笑顔で挨拶すると彼女は嬉しそうにもう一度ニッコリ微笑んで、窓の外に視線を戻した。
 彼女が僕の名前を覚えられなかったように、僕も彼女の名前を知らない。
 初めて会った日名前を聞いたら、大きな目をパチパチさせただけだった。
 だから僕は勝手に彼女の名前を付ける事にした。
 空ばかり見ているから、ソラ。
 我ながら安直だと思ったけれど、ソラは嬉しそうに頷いてくれた。

 「見てくださいスギハラさん、今日も太陽が笑ってます。」
 お洗濯日和ですねぇとソラは眩しそうに目を細める。

 ソラが僕の部屋に来てから今日で5回目の朝だ。
 あの日は吃驚した。
 バイトから帰ってくると、玄関前に女の子が倒れていたのだから。
 慌てて抱き起こして声を掛けると、彼女は薄く目を開け微笑んだ。
 そして、色の失せた唇で僕を呼んだ。
 「スギハラさん、」と――。


 ソラは、記憶喪失だった。
 症状は軽い物で、安静にしていれば失った記憶も戻るだろうと言われた。

 気付いてたさ。
 どれだけ清らかで美しくとも、ソラが天使じゃない事くらい。
 いつかは記憶を取り戻し、僕の世界からは遠く離れた場所へ帰ってしまうんじゃないかって事くらい。

 でも、だからこそ、僕はソラを天使だと思い込みたかった。
 天使だと思っていられれば、憧れで終えられる。
 美しい佇まいも心揺さぶられる笑みも、絵画のようだと思える。

 気付いてたさ。
 ソラが僕だけの天使にはなり得ない事くらい。
 彼女が時折無意識に、指に嵌められたリングをなぞる事くらい。

 ソラが来た日から、空は毎日眩しい程の快晴だ。
 突き抜けるような青空を見てソラははしゃいでいたけれど、僕はどこか不安だった。
 神様が迷子の天使を探す為、くまなく下界を見下ろす為に雲に暇を出したんじゃないかって、そんな気がして不安だった。

 洗濯日和だと微笑んでいたソラは、母さんを手伝ってベランダに洗濯物を干している。
 どこまでも広がる青の中に溶け込むように、僕を振り返って微笑む彼女は、
泣きたくなるほど美しい、一枚の『絵のよう』だった。

 ソラが来てから6回目の朝、つまり、ソラが来てから7日目の朝。

 僕とソラは向かい合って朝食を食べていた。
 ソラの朝食はいつもシリアルだった。
 小さなスプーンで掬い上げられたミルクとシリアルが小さな口へ運ばれていくのを、トーストを噛じりながら黙って見ていた。

 ピンポーン

 突然響いたチャイムの音。
 こんな時間に誰だろうと玄関の扉を開けると、スーツに身を包んだ一人の男が立っていた。
 僕とよく似たすこし癖のある真っ黒な髪に、日本人離れした青い瞳。
 驚く僕に一礼し、彼は口を開いた。
 「朝早くに申し訳ありません。ですが、こちらで記憶喪失の女性を預かっているという話を耳にしまして、居ても立ってもいられず…」
 「あ、あなたは…」
 声が上手く出てこない。
 まさかと叫びたい衝動をグッと堪えて恐る恐る尋ねる。
 「申し遅れました。杉原…杉原リオンと申します。」
 嗚呼…彼の青い瞳に見詰められ、僕は悟った。
 彼がソラの「スギハラさん」だ、と…

 背格好も髪質も、僕と彼はそっくりだった。
 残念ながら彼の方がイケメンだけど。
 それを除けば、大きく違うのはその瞳の色だけ。
 だからこそソラは僕になつき、「スギハラさん」と呼び、僕には無い青を懐かしんで空を眺めていたのかもしれない。

 「上がって、下さい…」
 やっとの思いで絞り出した声は想像以上に小さかった。

 杉原さんを引き連れてダイニングに戻ると、ソラは朝食を終えていた。
 「ソラ、」
 いつものように声を掛けると、彼女は笑顔で顔を上げた。
 そして、僕の隣に立つ彼を見て大きく目を見開いた。

 「彩音…」
 杉原さんが名を呼ぶ。
 アヤネ―ずっと知りたかった、ソラの本名。
 彼女を呼ぶ杉原さんの声は愛しさと優しさで満ちていた。
 勝てないな…直感的にそう感じて、そんな事を考えた自分に自嘲する。

 立ち上がりフラフラと近付いてきたソラは、大きく見開いた瞳からポロポロと涙を流していた。
 「私が分かるかい?」
 そう尋ねる杉原さんに頷くと、ソラは涙を拭って微笑んだ。

 「リ、オン…」

 杉原さんはソラ…否、彩音さんを抱き締めた。


 ああ、絵になるなぁ…

 玄関で二人が見えなくなるまで見送りながら、一人取り残された僕は悠長にそう考えていた。
 やはり彼女は僕にとって現実離れした存在だった。
 だから、ほんのちょっとの寂しさや切なさは有ったけれど悲しくなんて無いし、むしろ彼女が彼女の空に帰れた事は素直に嬉しい。

 部屋に戻り、彼女がいつも座っていた小さな椅子に腰掛けてみた。

 窓の外には、真っ直ぐな飛行機雲が1つ浮かんでいた。
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